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pour moi

 

毎日6時起きが続いている。自分史上、こんなに早く起きて支度をするのは高校以来だ。

 

何よりも自由を求めているくせに、自らこんな遠距離通勤を選択したのはどうかしている。

 

しかしこれまでの人生で私は幾度か、自分の人生を受け止めきれず、放棄していた時がある。

 

自分の人生=自分自身を受け止めきれない。長い間、自分から自分が抜け出てしまっていた。

 

何故、こんなにも生きづらさを感じるのか。何故、こんなにも他の人との隔たりを感じるのか、ずっとそのことを感じながら、考えながら生きてきた。だから人よりもおそらく、気付くことが多いのだと思う。

 

自分の中にある答えのない謎がわたしを導くように。この違和感は何処から生まれるのか、この怒りは何を憎んでいるのか。この目に見えない閉塞感はわたしに何を訴えているのか。

 

もう長い間、当たり前になっていた常習を、壊す時がきている。

 

 

 

いつまで呼吸さえままならない満員電車に揺られるつもり?

 

電車の外に目をやってみてよ、スマホばかり見てないで。朝の光が気持ちよさそうだと思わない?このままいつもの駅で降りないで知らない場所まで行きたくなってこない?今日は体調不良ってことにしておいて、よく知らない街をブラブラ歩いてみんなが仕事してる時間を贅沢に使って、ちょっとお酒でも飲んでカチカチに出来上がってしまった自分の型から自分を解放してあげてよ。

 

 

みなが疑問さえ抱かないことに、実は大きな原因がある。

 

みなが当たり前にしていることが、それが大きな問題なのだよ。

 

周りの目を気にしてばかりいる人の目を気にしてもしょうがないし、みなが同じであろうとすることの価値って何?

 

 

相手が自分と同じ考え価値観で生きているとは決して思わないほうがいい。何十年もこの先も縁のある親子でさえ、きっと死ぬまでお互いのことは解らないだろう。人間の魂は永遠に孤立した存在だから。長い時間をかけて、近づいたり離れたりしながら成長していくのだから。

 

他人が決めた幸せの価値なんて何の意味もない。幸せは人と比べるものじゃなく自分がどう感じるかが全て。みんながあくせく働いてる時、一人ゆったりグリーン車でお酒片手に車窓の景色を楽しむ。自分にとって価値があることをする。わたしはよく車窓の景色をぼーっと眺めたり、空や街をただ眺めてたりする。何かを特に見てるわけじゃなく、その時間の空や土地の鼓動、季節、そういう今の世の中を感じ、それらを心のスクリーンに映して一つの画にし、物語にする。それまでに観た何かの映画のシーンが重なったりすることもある。そういうイマジネーションは決してスマホからは得られない。

 

自分の為に何をしてあげられるか。自分の心と体をどう大切にしてあげられるか。そんなことばかりこの頃は考えている。

 

子供にご飯を作ることも、大量の洗濯ものを干して畳むことも、家を清潔に気持ちよく過ごせるようにしておくことも、子供よりも前に、このわたしがイライラしない為にやる。大量の洗い物、ほこりの積もった床なんてもう、ああ、これをきれいに片づけたらさぞ気分がスッキリするだろうな、と思うのです。クタクタに疲れているときは一旦諦め。義務感でやる家事はストレスになって自分に悪影響だから。諦めるときは洗濯もの3〜4日分くらいは諦め。これを休日一気に干して畳み終わった時の達成感ったら。

 

あらゆることに、クリエティブに向き合ってみる習慣は、自分に課せられた、また自然に囲まれて育ったからこそ与えられた宝だと思う。

 

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