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信じること

 

むすめは絵が上手い。これはわたしが仏語勉強の息抜きに走り書きしたもの。むすめの絵を褒めるといつも「そうかあー?」的な反応で、いやいや、もっと自信持っていいよ、自信持つべきレベルだよ。と言ってきた。小学校の頃から県展に入選したり、街に貼られたりもしてるのですよ。

 

しかし自分がいとも容易く出来ることを、自分自身でこれは才能だから伸ばしていこうと気付き行動できるのかどうか。

 

周りにいる人がその芽を見つけ、育んでいける環境が今の日本にどのくらいあるのだろう。子どもには自分の人生を自分で選択していけるよう、これまで触れ合ってきた。これからも生活面で叱ることは多々あるけど、人生の選択、何がしたい、これが好き、あれがしたい、そういう本人の意思は可能な限り尊重している。

 

わたしに選択の自由がほぼなかったから、それも大いに加味されている。

 

息子はもうすぐ19歳になる。小学一年からサッカーを始めて、6年間毎週末続けた。中学では何故か卓球部に入った。高校受験を前にもう一度サッカーがしたくなり、わたしがよく知りもしない家から2時間近くかかる船橋の高校を受けると言いだした。息子の性格は2歳の頃から根本的に同じで、自分でしっくりきたことには誰の意見も通らない。そこがわたしと似ているものだから、何かあらば面倒なことになるわけです…。

 

その高校に通うにも定期代、駐輪場代、引いてはサッカーのユニフォーム代に部費、ほんとにこれでもかってぐらいお金がかかります。どんだけかかるんだって、呆然と何とかなるさ〜なんてこの時ばかりはしてられません。丁度わたしシングルになった年でしたし、息子の入学と同時にむすめも中学入学です。今考えても非常におそろしい状況でした…。

 

でも、これからは自分の想いに嘘偽りなく、人生を切り開いていける道を選んだことがわたしを後押しし「何とかなる、何とかなるし、何とかならないわけがない」そう暗示をかけてこの4年間を過ごしてきたわけで、現に今何とかなっていますし、年々暮らし方が上手くなってきたと感じています。それは食べることに対してもそうだし、休むこともそうだし、生きること自体が結婚していた頃よりもずっと生き生きしている。

 

やっと本当の自分に気が付けた、ような。15年の結婚生活って長いっちゃ長いけど、今はそれに対して特に感情もないな。だって未来を見られるようになったから。沢山、色んな古傷もあるけどそれを避けることはやめよう。じっくり、そっと包み込んで、自分をまるごと愛そうと思う。

 

人は変えられないって、10代の時知った。人は変えられないし、変えようなんて思ってたことがちょっと結構馬鹿だった。

 

自分が出来ることは自分を変えることだけ。よく聞くけど、自分を変えるには勇気が要るし、腹もくくらねばならぬけど、見える景色が変わるから、周りを変えたかったら自分が変わるのが一番早い。

 

息子が勝手にサッカーを退部していて、学校もサボリがちになっていった時。少しでも誰かによくありがちな否定的なことを言われたら、わたしは自分を保てなかったと思う。心配で心配で、これでいいのか、何かとんでもなく間違ったほうに行ってしまったんじゃないか、とにかく心配と不安とで心が押しつぶされそうになっていたから。誰にも相談できずにいたし、誰も信用できなかった。

 

そんなどうしようもない状態でもちゃんと生活は続くのだ。息子を叱っても何にも解決しないのは解っていた。ただ、わたし自身の気もちを正直に話し、悲しみ、怒り、心配、そういうものを吐き出した。その頃の息子は、自分でも自分が収まりきらないといったふうで常にピリピリしていた。それまでに知り得た理解し得たものだけが息子の全てだった。そしてこれから少しずつ大きく成長していくのをわたしはただ見守ることしか出来ないのだと悟った。親というのは子供にとって、本当にただのサポート役なのだ。子どもが何をどう思っていようが、全て子供の自由。毎日、せっせとご飯を作ることで子どもの成長をサポートしているのだ。当たり前すぎることかもしれないけど。

 

進路を考え始める頃、少しずつ反抗期も収まり、案の定わたしに相談なく進路を決めてきた。ああ、親って何なんだろう。。そして大手食品会社に就職を決めてきた。決断の速さはわたしに似たな…っていうか、ほんと親って一体何だろうか…。

 

そんな息子も働き出してからは人が変わったように穏やかになった。以前より広い視野でものを見るようになったのか、色んな人と接して世界が広がったのか、わたしに対して優しくなった。台湾でお土産を買ってきてくれ、進んで料理するし、頼めばご飯をつくってくれる。こんなに嬉しいことがあろうか。こんな日がくるなんてあの時は知る由もなかった。でも、ずっと心の奥の深いところで本当は知っていたような気がする。きっと大丈夫、どんなことがあっても、何とかなるって。その想いが知らないところで息子にも伝わっていたのかもしれないな。

 

先週は初めてボーナスが入ったからみんなでお寿司を食べに行こう、と言ってわたしとむすめにお寿司をご馳走してくれた。もう、本当に嬉しいを通り越し、言葉にならないものですね、こういうこと言ってもらうと。反面、自分は今まで息子に何をしてあげてきたか、って、いやめちゃ色々してきてるけどまだ何かあるはず、何だろう…。この何とも言えない嬉しいような切ないような。

 

何者かにならなくても、自分の人生を自分で選択し納得して生きている、それがすごく大切なことだとわたしは思う。だから不平不満を漏らし現状を嘆くひまがあったら、どうしたらうまくいくかを考えながら生きていく。現状を嘆いてみたことも少しあったけど、何一つ良くはならなかったからね。

 

 

今の目標はむすめの進学準備と、わたしのフランス留学費用を貯めること。もろもろ考慮し、給与の高い都内の商社に通勤してたのですが、朝の7時に席取りの為に並ぶのがツラい…。始発から最終なもんで座れないとツラさ倍増…。でもこの仕事も今週で終わり!

 

来週はダニエルハリトーノフのピアノリサイタルとディズニーシー、ホットヨガと東京駅丸ビル、KITTEで買い物の予定!

 

よし、もうちょっと頑張って年末は楽しむぞ〜〜

 

 

 

pour moi

 

毎日6時起きが続いている。自分史上、こんなに早く起きて支度をするのは高校以来だ。

 

何よりも自由を求めているくせに、自らこんな遠距離通勤を選択したのはどうかしている。

 

しかしこれまでの人生で私は幾度か、自分の人生を受け止めきれず、放棄していた時がある。

 

自分の人生=自分自身を受け止めきれない。長い間、自分から自分が抜け出てしまっていた。

 

何故、こんなにも生きづらさを感じるのか。何故、こんなにも他の人との隔たりを感じるのか、ずっとそのことを感じながら、考えながら生きてきた。だから人よりもおそらく、気付くことが多いのだと思う。

 

自分の中にある答えのない謎がわたしを導くように。この違和感は何処から生まれるのか、この怒りは何を憎んでいるのか。この目に見えない閉塞感はわたしに何を訴えているのか。

 

もう長い間、当たり前になっていた常習を、壊す時がきている。

 

 

 

いつまで呼吸さえままならない満員電車に揺られるつもり?

 

電車の外に目をやってみてよ、スマホばかり見てないで。朝の光が気持ちよさそうだと思わない?このままいつもの駅で降りないで知らない場所まで行きたくなってこない?今日は体調不良ってことにしておいて、よく知らない街をブラブラ歩いてみんなが仕事してる時間を贅沢に使って、ちょっとお酒でも飲んでカチカチに出来上がってしまった自分の型から自分を解放してあげてよ。

 

 

みなが疑問さえ抱かないことに、実は大きな原因がある。

 

みなが当たり前にしていることが、それが大きな問題なのだよ。

 

周りの目を気にしてばかりいる人の目を気にしてもしょうがないし、みなが同じであろうとすることの価値って何?

 

 

相手が自分と同じ考え価値観で生きているとは決して思わないほうがいい。何十年もこの先も縁のある親子でさえ、きっと死ぬまでお互いのことは解らないだろう。人間の魂は永遠に孤立した存在だから。長い時間をかけて、近づいたり離れたりしながら成長していくのだから。

 

他人が決めた幸せの価値なんて何の意味もない。幸せは人と比べるものじゃなく自分がどう感じるかが全て。みんながあくせく働いてる時、一人ゆったりグリーン車でお酒片手に車窓の景色を楽しむ。自分にとって価値があることをする。わたしはよく車窓の景色をぼーっと眺めたり、空や街をただ眺めてたりする。何かを特に見てるわけじゃなく、その時間の空や土地の鼓動、季節、そういう今の世の中を感じ、それらを心のスクリーンに映して一つの画にし、物語にする。それまでに観た何かの映画のシーンが重なったりすることもある。そういうイマジネーションは決してスマホからは得られない。

 

自分の為に何をしてあげられるか。自分の心と体をどう大切にしてあげられるか。そんなことばかりこの頃は考えている。

 

子供にご飯を作ることも、大量の洗濯ものを干して畳むことも、家を清潔に気持ちよく過ごせるようにしておくことも、子供よりも前に、このわたしがイライラしない為にやる。大量の洗い物、ほこりの積もった床なんてもう、ああ、これをきれいに片づけたらさぞ気分がスッキリするだろうな、と思うのです。クタクタに疲れているときは一旦諦め。義務感でやる家事はストレスになって自分に悪影響だから。諦めるときは洗濯もの3〜4日分くらいは諦め。これを休日一気に干して畳み終わった時の達成感ったら。

 

あらゆることに、クリエティブに向き合ってみる習慣は、自分に課せられた、また自然に囲まれて育ったからこそ与えられた宝だと思う。

 

見て美味しい食べて美味しい

 

家事の合間に休憩。むすめが毎週クッキーを作ってくれるのですが、それを手作り市風に小分けにして入れ物に入れておくんです。帰ってきた息子があればあっただけ食べてしまうので、食いしん坊のむすめは誰にも見つからないよう色々埋蔵してます。

 

でもこのIKEAのビンに入れ替えてみたら何だかいい感じ!クッキーをつまみながら牛乳飲んでたらこれいい画だなと思って。笑

 

 

 

昨日アロマテラピー検定一級の試験受けてきました。手ごたえはカンペキ。3つくらい間違えたけど^^;

 

場所は学習院女子大学で東西線の早稲田駅から歩いて15分ぐらい。たまたまこの日早稲田の学園祭だったようで、地下鉄の出口を出た傍から学生達の波。ああ、みんな頭いいんだろうなあ・・。妙な違和感を覚えつつ、波にまぎれて歩くこと数分。早稲田の学生さんがやっているというお店に入ってみました。

 

 

 

パンケーキが美味しいとのことで、知らない土地のお店だとあんま抵抗なく入れちゃうんですよね。全部知らないから何も考える必要がないし、新鮮。

 

店内は結構こじんまりとしているけど、女の子らしい装飾とあたたかみがあっていい感じ。席が10コぐらいしかないので入れ替わると同時にすぐ満席に。入った時丁度空いてたのでよかった。当店は初めてですか?から始まって丁寧におすすめまで説明してくれ、どうやら今人気らしいサーバーで淹れるコーヒーも美味しいらしい。

 

ここのパンケーキの写真を見たら、ズッキューンと来たわけです。これはもう死ぬまで消えない女子のサガです。よければHPご覧ください。FORUカフェ 

 

でわたしが頼んだのは此方。

 

 

ティラミスのクレームブリュレパンケーキ。上にのっているお花も食べれるんですってよ。これはねー初めて食べる食感でした。外はカリッと焦がしてあり中はトロトロ。それにアイスをからめて。私以外のお客はカップル2組と女友だち同士。あと一人女の子。席が狭いのでカップルたちの会話も自然に聞こえます。女の子の嬉しそうな話声、男の子のほうも幸せそう。ああ、何だかいいなあ〜って、もはや親戚のオバサン目線。笑 もう羨ましいとかそういうんじゃないんです。自分の若い頃を重ねているのかもしれないな。いい時(年齢)だなあって思っちゃう。

 

わたしは昔から同年代の人と居ても楽しいと思えないところがある。自分と違うものを持つ人と接すると世界が広がるから。もちろん良い刺激を得られればだけど。そういう好奇心がある反面、ある時はおそろしく人見知りだったり。自分がまだまだ手に負えない。

 

 

コーヒーは一杯100円でした。美味しかったです。

 

 

試験会場の学習院女子大へは早めに着いたので、中庭でテキストを広げたり。

 

 

 

結果通知は12月頃来るそう。しかし先月のTOEICからよく頑張ったよわたし。えらいぞ自分。

 

頑張り過ぎは体に毒だからね。

 

一休さんだよ。

 

あわてないあわてない。一休み一休み。

 

 

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