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今を生きる



初収穫!

みるみる育ち、第1子を収穫しました。

ピーマン、ずっと買ってきたけど家でも出来るなんて、、当たり前の価値観をシフトしてくの、たのしい。


毎日ご飯つくりや洗濯掃除、仕事やらあらゆる場所場面でそれに応じた自分で居ることに、退屈になることがある。

タイマーで動いてるような、キッチリ枠にはまっていくような。

そういう枠は自分で壊してくしかないのだ。


決まったことを決まったようにやることで得る達成感より、決まっていないことを自分で作り上げていく喜びの方が断然ワクワクする。


今を生きる、という言葉。確か中学生の頃教科書に載っていた。

あの時はよく意味が分からなかったけど、すごく大切なことなんじゃないかと忘れないでいた。


わたしは2011年頃まで殆ど頭を使わないで生きていた。今が楽しいことが一番。未来のことなど誰にも解らぬ。いつ死ぬかも解らない。今をいつかの為に棒にふりたくない。

楽観。大まかに見てなんとかなるさ〜ハハハ〜のスタンスだった。

その頃、フランス語の勉強を始めたことが怠けた頭を覚醒させるきっかけに。

スカイプの先の先生は私が普段頭を使ってないことをいち早く見抜き、レッスンの最初はフランス語で時間の計算をさせられまして。

頭から煙が出ました。笑

ただでさえフランス語の数字は面倒なのに、何分後は何時?それはいつ?それって何分前? ヒィ〜

オタオタしつつ、褒められたいが為に予習もしてちゃんと言えるようになりました。


で段々フランス語が面白くなってきて。勉強が楽しい〜。

その頃、わたしの左脳がようやく重い腰を上げたんです。それまでは直感的に、あまり頭を使わないようにしてました。

頭で考える、とゆうのは今を離れること。今じゃない、ここじゃないものにフォーカスすること。それも自分という、限られた世界の中であちこち移動すること。

今を生きること。それは体で感じること。

今、確かにここに存在すると感じられる豊かな感覚、じゃないでしょうか。


フランス語を始めてからは常に何かしらの勉強をしておりますが、左脳が優位になるほど右脳が影をひそめていきます。

これは個人的な経験としてそうなんだと思ってます。


don't think you can feel.


考えるな 感じよ


今の自分へ。頭を使うクセをそろそろ治そうよ。









わたしらしく生きること 1



ブログの中で時々、田舎が苦手と書き記しておりますが、苦手だったのは自分の暮らしていた土地でのまわりの大人達、人の環境でした。

わたしの場合は親に対する想いも色々コントロールしないと自分を保てなかったので、「親って?人って?」いった哲学的なことをわりと早くから考え始めました。

「他人の家の事情なんて、よく知りもしない他人がとやかく言えることじゃない」わたしの住んでたところは人の家の様子や経済事情がおおよそ筒抜けにならざるを得ない、小さな集落。母は買い物にいくのも地元の八百屋に行かないときは人目を避けて遠回りして、わたしから見るとほんと息が詰まるような暮らしです。



「子供が自分で決められないことに対し、大人がいかにも自分勝手なことを子供に聞かせることは恥ずべきことと思っています。」

考えなくとも解ることですが、子供には何の罪もありません。神様に導かれこの世にやってきて、その子らしく、愛と喜びに満たされ大きくなっていくことを自然界の全てから望まれています。

小さな頃わたしは母に恥ずかしい子だと思われていました。(自分が40を過ぎて初めて、よくやってるね、という言葉を貰いました)直接わたしには言いませんでしたが、赤ちゃんだった頃の話を何度もわたしに聞かせてたので、(そうかー、そんなにかわいくなかったんだ)っていう刷り込みがわたしの中に出来上がってしまいました。近所の人にかわいくない赤ちゃんだね〜と言われたことや(方言なのでそんな直接ではないけど)、湿疹が酷くて見るに堪えなく、冗談めかすように父と話してたこと、歩き出すのが遅く、どれだけ心配させたかという話。あと夫婦喧嘩してわたしと兄を置いて3日何処かへ行ってしまったこと。帰ってきたらわたしが真っ赤な顔でコタツで寝ていたとか・・

こういうことを夕食や、お酒の入ったときに延々とわたしに聞かせるものだから、ダメージの深刻度はどんどん深くなりましてね。

知らず知らずのうちにわたしの耳や体が膜を張るように、外からの音が聞き取りにくくなってました。呼ばれても気付かないので、無視していると思われたりして。色々面倒で、でもその状況を友達や先生にもうまく言えなくて。家のことがいつも心配で寝られず、喧嘩しないか起きていたり、近所の人が何故か冷たい人に思えて全く心を開けない。だからかわいくないと思われていて、他の子と比べられて傷ついたり。何処にも苦しさを吐き出せる場所がなく。そうすると体はそういう環境でも生きていけるように変化するのですね。

心を打ち明けて話せる大人が居なくて、ただ悲しい気持ちで一杯だったのですが、初めてちゃんと理解してくれた、くれようとした先生がいました。小学校3、4年の時担任になったH先生です。27歳ぐらいだったかな?男の先生でした。とにかく他の先生とはノリというか、全く上から目線とかを感じない人。いつもみな一緒になって遊び、休日の日もみんなで先生の家に行って貼ってある中島みゆきのポスターをからかったり(懐)缶けりしたり、ドライブしたり、友達みたいな先生でした。

そのH先生が初めて、わたしのことを褒めてくれたのです。絵を描く時間、写生ですね。田舎の自然は大好きで、山や空を描くことが楽しくてしかたありませんでした。絵は元々好きでよく描いてましたが、親に見せてもそんなに反応はなかったので、自分が絵が上手いということも知りようがなく。

「ほんとうに上手いなあ。すごいなあ。」と、わたしの絵をしょっちゅう見に来ては褒めるので、他の男の子が「先生ずるい!いっつも見に行ってる!」と言ってたのを覚えてます。わたしも絵を描くのが好きだったので、ずっとこうしていられたら幸せだなあ・・と絵を描いたり、何かを作る時にはいつも思いました。



その先生が家庭訪問に来たときのこと。家庭訪問は嫌いでした。(わたしのことを理解していない大人同士がわたしのことについて何を話すというの?)って思っていました。H先生が来るとき、わたしはこっそり何を話すのか陰で聞きました。H先生はわたしのことを心配してくれていたのです。よく授業中お腹が痛くなってトイレに行くし、起立性貧血みたいに倒れたりもしていたので、きっと家庭のことまで気にかけてくれていたのですね。お腹が痛いとき、理由も聞かず「大丈夫、大丈夫」と声をかけてくれていました。その温かさや優しさが大きくて、小4のわたしは涙が溢れて止まらなかった。H先生はずっと押し込めていた苦しさを開放させてくれようとしました。

家庭訪問のとき、H先生が母に言いました。「Mさんはすごく才能が溢れています。なので、絵を描くことでもいいですしつくることでもいいですが、そういた方へ進むサポートをしてあげられるといいと思います」

これを影から聞いていた私はすごく嬉しくて、わたしを導いてくれようとしていることを知って少し未来のことを考えました。それに対する母の返答は「ああ、はい・・」そんなこと言われても・・といった感じで悲しくなりましたが、田舎だし、そもそも子供の教育に関心がない親なのでそういう反応になるしかないのでしょう。

このH先生には小学校3、4年の2年間お世話になりました。後にも先にもこんなに生徒一人一人に情熱をもって向き合ってくれた先生はいませんでした。公私ともに生徒と一緒に楽しんで過ごしてくれて、思い出すと温かい気持ちになります。わたしは先生と名の付く人とはすこぶる相性が良くないのですが、H先生は人としても大好きでした。



そんなことがありつつ。それでも小学校の終わりまでは母のことがとても好きで、夜何処かへ行ってしまわないかとハラハラしたり、父とケンカせずに居るだけでも少し安心したり、ほっと過ごせる時間がありませんでした。母は子供の頃にお母さんを亡くしており、どれだけ淋しい想いをしたかという話やいわゆる団塊の世代で戦後のものの無い時代がどれだけ大変だったかという話をこれまた延々を聞かせられてました。

小学校まではただ母のことが好きで、いつも機嫌よく居て欲しい、楽しくしていて欲しいという想いからそういう話もちゃんと聞いていたし、母の苦しみを少しでも取り去ってあげたいと思っていました。



しかしそれから、わたしも中学に入り、心身共に大人へ近づき始めた頃。突然、母を一人の人として見つめたのでした。衝撃というか、これまで大好きだった母というヴェールが取り払われ「一人の女性」が突如現れました。盲目的に大好きだった母が、わたしの中で尊敬するに値しない人だと・・、わたしはこの衝撃の現実に狼狽え、ガラガラと音を立てて母を見る目は曇り、歪みはじめました。


「わたしが大人だったら・・あんな言葉を子供には聞かせない」

「わたしが母親だったら・・そんなふうに子供をダメにするようなことをしない」

「いくら辛い過去があったって、それを片手に育児を怠けるなんてただの言い訳」

etc...

そりゃあもう湧いてくる湧いてくる。それまで受け取った言葉、態度への疑問や不信感が滝のように流れ出て、現実と自己を見つめるとただ辛い気持ちが押し寄せました。

母に褒めてもらいたくて生徒会に入ってみたり、居ないときは洗い物をしたり、洗濯ものを取り込んだり、時に父との喧嘩の仲裁に入ったり、母を守りたい気もちでしてきたことが、何だかすごく悲しい事に映りました。

思春期は、親ありきの人生が自分ありきにシフトチェンジする。

母の痛みを常に受け取っていたわたしが、中2の頃母を一人の人として見つめたことを機に、これからはなりたいわたしになる為に生きようと強く思いました。


母がわたしの言うことを否定してきてもいい。母の言うことをわたしが聞かなくてもいい。

母が何処へ出かけて何時に帰ろうがもう知らない。高校にいけば地域のうわさ話なんて気にする必要もなくなる。誰も知ってる人が居ない場所に行きたい。

親のすることと、わたしの生き方は関係がない。

親が出来なかったことをわたしがしようとして親が反対するのは、いつまでもわたしを支配(言い方はよくないが)していたいから。

こういう環境に生まれたのにもきっと意味がある。きっともっと広い世界へ向かうための助走距離、踏み台、魂の学び。


色々なことを考え始めたわたしは、まずは親元を離れる為、そして早く働いて自由な生活をするため、就職に有利な資格の取れる高校へ進むことにしました。地元の生徒が一番多く通う高校は普通科で、(成績が足りてない面もありました)ただ普通科に行って何の色も持たないまま卒業なんて嫌でしたし、本当は英語学科のある高校に行きたかったのですが、経済的事情と親の心情を考えるとそんなことを志願して拒否されるのは目に見えていました。

中学時代の苦手科目はずばり数学。理科。ザ・理数系。

そんなわたしが数字を扱う高校へ自ら入ったのですから、もうど根性魂しかありません。苦笑

簿記、マーケティング、情報処理、、商業科なのでそういう科目を主に学びました。

簿記・・・、経理や事務の仕事に就く人なら役に立つでしょう。

しかし、現時点でわたしの人生に役立ったことはほぼないです。チャンチャン。あ、ショップの収支を管理するときにちょっと見慣れている分入りやすいかな。


高校生活で得た一番の教訓。

「人は苦手を克服するより、好きなことを伸ばすほうが100倍幸せになれる。」

どなたか賢人のお言葉にもありましたが、苦手を克服するには人生はあまりに短い。のです。

好きなこと、勝手にできてしまうことが自分が幸せに生きていくために神さまから与えられたギフトです。

それに早く気が付いて、もっともっと好きを得意に変えていくことが、自分と自分のまわりを、そのまた周りを幸せへと導いていく自然の流れです。好きなことをするのは喜ばしく、すばらしいことなのです。誰に遠慮することなく、生まれ持った自分の才能の芽(好き)を育て上げていくことは、今の安定を求める学生に夢や希望、未来を授けることにもなりますから。そのためには一人でも多く好きなことや得意なことをして、それでご飯を食べられていなくとも魂レベルで豊かさを感じること。それまで味わったことのない喜びを心から感じる。何かが必ず変わっていくと思います。


今子供を持つ親として、好きなことを見つけて思い切りやってもらうことを願っていますが、わたしの育った頃とは時代も場所も違いますのでね。まあ、成長の芽を摘まずにゆるく見守っていたいと思ってマス。


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JUGEMテーマ:人生論

       わたしらしく生きること2へつづきます・・◎
 

桜と成長





日曜日、都内に用があった帰り上野公園へ寄ってみました。



改札から、人、人、人〜〜



うえぇと人酔いしながら歩いていきましたら、桜はほぼ咲いてない〜。







あら一足早かったわねと、ぐるぐる回って進んでみましたら、いやいや咲いていましたよ!







満開だったらさぞ綺麗だろうなあ。







この三分咲きあたりも、さあこれからって感じで乙です。







周りはほぼファミリーかカップル。



その中を縫うように一人動き回るわたし。意味もわからず楽しい。









どうして桜ってこうも心に沁みるのでしょう。



淡く儚くて、一斉に咲き誇り、潔く散って若葉に姿を変える。



蕾を付けるのに一年もかけながら、潔ぎよく散る姿に惹かれるのかな。





いつまでも桜の似合う、桜に恥じない日本であるように。ってね、想います。







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身辺の動きが色々落ち着かなくて・・。



おめでたい動きなのでね、ありがたいのですけど、落ち着かないたらありゃせん。笑



息子は来月入社式。京都であるのですが、一人でちゃんと遅れずに行けるんかい!?ってところから心配です。が、もう後は本人の人生なのでいいです。知りません。その後研修で泊まりで神奈川へ行くのですが、一皮剥けてくることを楽しみにすることにします。



娘はおかげさまで無事4月から高校生です。花のJKです。いいなあ〜。ブレザーいいなあ。。(←そこか)わたしは高校セーラー服のド田舎だったから、その点本当に羨ましい。ちゃんと着させてもらう約束をしました。←え



わたしも30代までは90%感覚といいますか、右脳寄り、本能を生かした生き方をしてきたのですが、40代に入ってからひしひしと学ぶことの大切さを感じていましてね。脳を衰えさせないこともありますし、まず知ることは楽しい、っていう気持ちがあるので知りたいことを学ぶことが楽しくて仕方ありません。



少し知ると、もっと知りたくなって、もう少し知ると発見が沢山で嬉しくなってきてね。そういうことかー、こういうことかー、体と頭が喜ぶ感覚がやめられない。特にわたしのウィークポイント、よく言われるカルマというものがいくつかあるのですけど、一つはお金に関すること。ええ、若い頃は散財してました・・。服とか、服とか、インテリア雑貨とか、服とかに・・。今思うとこれも勉強代だったのでね、沢山買って失敗しないと得られないものがあるので。いいのですけどね。今思うと病気でしたね・・。

大抵のことは、何とかなるようになっているとの前提でこうなったらいいなあ、っていう理想を諦めない。深いところの覚悟っていうか。

みんなそうしてる、っていう隠れ蓑を使う自分を好きでいられる?って。子育てしてるとびっくりするぐらい価値観の違いを見せつけられることが多い。

子供はもちろん愛している。でも子供が人生の100%じゃない。子供にも人生があって親の所有者ではない。親が面倒を見ることは生き物として自然のことだけど、時期が来たら巣から追い出すのも親。

わたしは死ぬまでやりたいことをやる。

それが子供の幸せにも繋がってる。



って、そうそう。

独り言みたいになってしまってますが、わたしにも余波がやってきたみたいで何と正社員でもないのに来月から異動です。

去年希望した店舗に空きが出たから、そちらに異動します?って聞かれまして。エーーー!今更ですかあーー!?と言いたかったけど、自宅から5分になるし、満員電車に乗らずに済むし、百貨店だから気が良いし。でOKしました。

頭が休まる暇がありましぇん…



話は変わりますがこれからは女性もお金に詳しくなって、強くなっていく時代。積極的にそういう勉強をしていきましょう!特にわたしのような右脳で生きてきた、生きている女性のみなさま。



話しが飛び飛びですが・・、また色々書きたいことがあるので次回に♪

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