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わたしらしく生きること 2

 

 

ナスを先日収穫!

 

 

 

 

お試し感覚でおそるおそる始めたプランター菜園ですが、ちゃんと育ってくれてうれしい!

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

わたしらしく生きること 1 からの続き。(読み返しましたが結構しんどい。。)

 

 

 

 

毎日を出来る限りに生きること、それで一日が埋まっていく。子供の未来がいい思い出で満たされればいいなと、隙間時間にポツリ、思ったりしている。

 

 

 

 

家事、掃除、仕事、自分の勉強、一日も終わりに差し掛かる頃にはくたびれてしまって、子供に時間を割く余裕がない。

 

 

 

 

下の娘も高校生だし、そんな構う必要ないとは思いつつも何かしてやろう、何かしてやれることないかな・・って勝手に気を巡らしてはマンガとゲームばかりしている娘にイライラし、墓穴を掘る日々・・。

 

 

何か言われないと動かない人間にはなって欲しくない、そう願っている。自分の心に正直に生きて行ってもらいたい。それを貫ける賢さ、強さを身に着けていってほしい。

 

 

 

 

自分が学生だった頃、行動の動機は全て反発からくるものだった。嫌だと思ったら何が何でも嫌を貫かずにいられない。早く窮屈な実家から出たくてたまらなくて、就職し会社で入った寮も門限が早いのが嫌で、一年経った頃一人暮らしを始めた。

 

 

 

仕事していても何で自分は今これをしているのか、この先これを続けたら素晴らしい人生に繋がっていくのか・・。そんなふうにある時考えた。そしたらたまらなくなり、入社2年半で退職した。

 

 

 

我慢が足りない。粘り弱い。根無し草。いつもヘラヘラしている。何をするか解らない。突発的。そんなふうにその頃のまわりの人には思われていた。正社員辞めるなんてもったいないと、その時の上司も親も色んなことを言ったけど、社会的に有利な制度ってだけでそこに人生を委ねてしまうなんて、なんてつまらない生き方だろうと、その頃も、今だにそう思っている。

 

 

 

 

「あなたみたいな人は社会人になれないわよ」高校時代の家庭科の先生にそう言われたことがある。

 

 

 

 

何かしらで反抗し、教室でみんなの居る前でそう言われた。ふん、上等だと思った。

 

 

 

(社会人て何ですか?まるで社会人の神さまから許しを得ないと生きてはいけないみたいですが)

 

 

 

ひねくれもののわたしは、聞き慣らされた、良質な大人という(社会人)というくくり、さらにそれを振りかざして上から押さえつける(つまらない大人の権力)に、体の底から嫌悪感を持っていた。

 

 

 

(社会の全てを見たわけでもなかろうに。むしろ校舎の中の限られた世界に身を置いてて一体何をどれだけ悟っているんだか)

 

 

 

 

ひねくれものなので(笑) ただ転ぶんじゃ悔しい。(あなたにそんなこと言える権利があるのか?)割と冷静に相手の立ち位置を想像し、自分で相手の意識レベルを調査する。そこで自分なりの結果を出す。相手が尊敬できる人間か否か。

 

昔から先生と呼ばれている人が苦手だった。(小学校の3、4年の担任の先生だけは例外。ちょっと変わってて人間臭い先生だった)

 

 

 

(○2016 9.19追記○アトピーにお悩みの方、ぜひこちらの方(Happyさんから心屋さんに何気に飛んだら見つけました。何て爽快なんだ)の記事をお読みください。わたしのように一人で戦っちゃダメですぜ・・)

 

息子が1才くらいの時。アレルギーのことで小児病院の先生と喧嘩になった。当時、息子はアトピーで湿疹が酷く、また風邪もひきやすくて、毎日のように病院に通っていた。早く治してあげたくてわたしなりに勉強し、図書館の本を片っ端から読み漁って良さそうなものを取り入れたり、薬の害もある程度は知っていた。

 

 

 

「じゃあステロイド塗って様子を観ましょう」

 

 

 

 

何処に行っても、湿疹に対してはこの対処法。どのアレルギー科にかかっても、皮膚を清潔にしてステロイドで一時的に皮膚を綺麗にする。徐々に薬を塗る量を減らして副作用が出ないようにする。

 

 

 

 

何処の小児科も沢山の薬をくれる。

 

 

(こんなに使い切っても大丈夫なんだろろうか)

 

 

 

痒がって眠れない息子を見るのは本当に辛い。一番辛いのは息子だけど、それと同じぐらいわたしも辛い。だからその薬をうすーく塗って様子を見る、じかに掻けないようにガーゼで袖口を結んだり、寝付くまでさすり続けました。

 

 

 

ある日、一向に良くならない湿疹と、図書館の本を読み漁って得た薬の副作用のこと、色々心配が重なって、通っていた小児病院の中高年の男の先生に診察後聞きました。

 

 

 

「あの、このお薬を使い続けたら、副作用でてきますよね?」

 

 

 

そうしたら先生、カッと怒りを露わにし、

 

 

 

「あなたがたのような母親がむやみに副作用を怖がるからよくならないんですよ!」(バンっ)←何かを叩く

 

 

 

(え・・先生キレた?)

 

 

 

一瞬(副作用のことを聞いただけなのに何でこんなガチにキレてくるんだ・・)不思議に思いつつもすぐ我に返り。

 

 

 

(ああ、そうか。そうだよね。患者はお医者様の言うことを聞かなきゃいけないもんね。お医者様の治療方針にずぶの素人が疑問を抱くなんて、日本じゃ罰当たりな行為だよね)

 

 

 

でもさ、何でそこまでカッとなる?

 

 

 

その頃は若かったから(24才)こんな小娘に解ったような口を聞かれた日にゃ、(何だ、おまえは?)って気分になるのは今でこそよく解りますが。

 

ですが親が自分の子供に塗る薬の副作用を心配をするって、ごく当たり前のことでしょーが。

 

 

 

お医者はいったん態勢を整えると、さらに言いました。

 

 

 

 

「あなた方母親は、まだ出てもいない副作用の心配ばかりする。実際に出たのですか?副作用が出ましたか?出てもいないのに・・」

 

 

 

(いやこのお薬塗っても一向に治らない湿疹がすでに副作用帯びていると思うんですが。)

 

 

 

 

毎日子どもと向き合ってる親なら日々の状態の変化が解る。でもたまに通って診察してもらう場合、その場の状態で診断を下されます。

 

一日の中で状態が変わると親は解っていたとしても、体丸ごと、日々の状態等トータルで診断して頂くというのは殆どムリ。それに飲み薬、塗り薬以外の対処法が今のところない。アレルギー、アトピーにおいてはどこの医療機関も治療に限界があるのだと・・、当時感じた。

 

 

 

あまりにそのお医者先生の言い方がケンカ染みていたもので、わたしまでカッと気が上がってしまい・・ガン飛ばしてたと思います。笑(若かったのでね)

 

 

そんな中、その状況を少し面白がっている自分も居て。わたしは子どもの治療で真剣なのだけど、その先生がまくし立てて。多分アレルギーに対しての治療が確立されていないことからくる余裕の無さなんだろうな・・とか。おそろしく客観視する自分が居て。何てったってひねくれものだったし。笑

 

 

(ああ先生悪いね。他のお母さんみたいにハイハイ言われた通りにしなくって。だからお医者は苦手なんだよね。人は見ないで症状しか見ない。親の不安な気持ちとか、そういうところは診療外なんだよね。ケッ

 


次の日も病院へ行ったら、そのガチ先生が廊下でニコニコ挨拶してきた。
ね、不思議なものね。ニコニコ挨拶してくる理由が分からん。

 

 

 

いつからか、先生と呼ばれている人に対し平均以上の警戒心を持っている。

 

 

「わたしは多くの経験を経、学問を積んだ知識人である。わたしの言うことに間違いはない。これで間違いはないのだ」

 

 

ってゆうオーラ又はスタンスを感じるともう生理的にダメ。きっとそこから無意識のレベルでサディストっぽさを感じてしまうからだろう。

 

 

 

それがもし、

 

 

「こういった方法もあります。しかし最終的にはお任せします。一緒に考えていきましょう。」

 

 

という寄り添いのスタンスだったら・・もう全然違ってくる。

 

 

好きなインディアンの言葉にこういうものがあります。

 

 

・・・・・・・・・・・・

私の前を歩くな、私が従うとは限らない。


私の後ろを歩くな、私が導くとは限らない。


私と共に歩け、私達は一つなのだから。


―ソーク族の格言―

・・・・・・・・・・・・

 

 

とかく師とか弟子制度を好むのが日本人気質。でもその前に人として、一個の生命として誰しもが平等に存在する。

 

 

決して目に見える部分が全てではないのです。

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

日本の子供の将来なりたい職業人気NO1が、何と公務員だとこの前娘が言っていた。わたしらの年代からするとにわかに信じ難い。70年代生まれの子供の頃は、それこそ宇宙飛行士とか総理大臣とかドラえもんとか、憧れの対象は常にヒーロー風だった。

 

 

 

今の子ども達は、今の世の中を思っている以上にしっかり見ているし、大人よりも感性が澄んでる分余計なものまで色々吸収してしまうのだろうな。

 

 

 

他人が何に価値を置いているかを思い図ることは、コミュニケーションの醍醐味。自分はこれが正しいと思う信念や価値観と全く同等に、他人も自分の信念や価値観を持っている。

 

 

 

わたしは、人生の折り返し地点は多分折り返している。今までは人生ゲームのレッスンが多かった。これからはひたすら楽しく、楽になっていくのだと思うと・・歳をとるのが全くこわくない。

 

 

辛い時、どうしようもない程苦しく辛い時があった。そしてこれからも多かれ少なかれあるだろう。

 

 

 

小学校一年生くらいかな。(ナニカガオカシイ・・)そんなことを強く思いながら過ごしていた。歪んだものの見方、考え、行動しないことで起こる負の感情、連鎖、本音と建て前、勝手な思い込みからくる否定、執着、そういう大人のご都合主義的、汚い部分に嫌気が差していた。

 

 

中学生のある日、夢を見た。それは両親がそろって人間でなくなり牛になって布団で寝ている夢。目が覚めた時、とても怖かったのを覚えている。千と千尋の神隠しのブタになった両親みたいなふう。わたしの潜在意識の中では両親は違う生きものなのだと捉えていたのだろうな。夢の中で本当の両親を探すために飛び出して走っていくのです。

 

 

(ナニカガオカシイ・・)という違和感。息が詰まるような環境。そういったものが常にあった。今もある。対象は変わっているけど。

 

 

 

・・わたしはこんな境遇で甘んじるべきではない。

 

 

・・わたしはそんな言葉の暴力を浴びせられる人間じゃない。

 

 

・・わたしは無理して自分を蔑むようなことはしたくない。

 

 

・・わたしは嫌いなもの嫌われたって痛くも痒くもない。

 

 

 

自分を守れるのは自分しかいない。

 

 

親や周りの大人から何か言われる度、心臓に傷が付いていく。(ああ、大人というのは弱いものへ手を差し伸べる頼れる存在ではないんだな)と小学生ながら割り切った。

 

 

わたしにはそもそもかわいげがなかった。小さくて幼げな感じでもなかったし、外では感情を殆ど表に出さなかった。親に対してもいつしか一人の大人という目線で客観視するようになった。

 

 

先生や大人に対しては不信感。同級生が表では先生のご機嫌とったりするくせに居ないところで毒づいているのを見ると最悪な気分になり、意味を感じない付き合いに超居心地の悪さを感じて、同い年の子と話していても全く面白くない。

 

(あれ、わたし他の子と何かがかなり違ってる)

 

 

自分でも良く解らないが、他の子が楽しそうにしていることが全然面白くない。田舎だったこともあって、中学になると家も学校も全てが面倒くさく、ホットロードを読みふけり(紡木たくのマンガ)雨の中家出したことがあった。(しかし田舎という不便が家出を阻止し2時間で帰宅)・・15の夜みたいに盗んだバイクで走り出したかった・・

 

全てが窮屈。学校も、先生も、同級生も、家も。

 

ここがまるで世界の全てのように、ささいなことを大袈裟に話し、些細なことを一大事扱いし、毎日同じ場所で過ごす。そうやって歳をとるなんてわたしは絶対嫌。

 

 

他の人間になったことがないから憶測でしかないが、他の人は田舎で知ったもの同士、ずっと一緒にいることが幸せなんだろう。

 

 

単純に、そういった所属意識の違い、なのだろうと思う。

 

 

わたしがひねくれてきた理由。そういう環境の中で常に、見えないものを見ようとしてたから。何故、同じ人同士で固まって同じことばかり話しているのか。何故、相手に不満があるのに全く関係ない人にそれをぶつけるのか。

 

 

(え、それっておかしくない?)

 

 

じゃあ何故おかしくなるのか?って、、、田舎は退屈なので多分色々考えられる時間があったおかげです。

 

 

しかも圧倒的にお店、それに伴う物が少なかった。山や川、自然と暮らしている環境なので、余計な刺激(ゲームセンターとか映画館とか)もなく、本を読んで想像力を働かせる時間もたっぷりあった。そう思うと、田舎育ちの人は哲学的思考に成り易いのかな?なんて。

 

もっと色んな考え方の色んな人が居る、多様さがあふれる場所で暮らしたい。

 

 

そして気が付いたらフランスへ行きたいと強く思うように。

 

 

わたし自身、今まで何度も何人にも、いい意味でもそうじゃなくても、(社会人の自覚がない、変わってる、云々)と言われてきて、じゃあもっと自分らしく生きられる場所は何処なんだろうと・・。そしてわたしにとって暮らしやすそうな場所がフランス。人の気質が合うと思っています。例えそれが思い込みだったとしても、自分の感覚を信じて。

 

 

 

サガンの『悲しみよこんにちは』は、いつのまにやら本の中に吸い込まれます。ぜひ一読あれー。

 

 

JUGEMテーマ:人生論

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生の意味 〜野菜とともに

 

ナスが実ってきました。毎朝成長を眺めるのが癒しとなっておりますー。。植えた時→ナスとピーマンインドの布

 

 

物言わず見るものを癒してくれる存在に、日々エネルギーをもらいます。

 

 

 

 

ここ最近、どうしてか同じ職場の人の相談事に耳を貸すことが多い。

 

それも自分が通ってきた出来事に似通っておるのです。一人じゃなく、相談されてるのは数人なのですが、自分が経験あることだと普通に実態を掴んだ言葉になるもの。逆に、まだ20代仕事上で付き合いも浅くよく知らない人に向かってそれはそうでこれはこうで〜って、(お母さんが精神的な病を抱えてらっしゃりどう対処したらいいかという話)言ってる自分が何かイヤでして。

 

家族が協力的じゃなく、お母さんは自分に全て委ねている状態だそう。それが原因でシフトにも影響して周りに迷惑がかかっている状態。(どうしたらいいのか解らないんです・・)と現状をまわりに伝えるものの、自分で動こうとする様子がなかったんですよ。

 

誰かが何とかするんじゃないか?って雰囲気しか感じとられず、一体どうしたいのかがさっぱり解らないものだから、いい加減呆れたわたしは「あのさ、放っておいて良くなることなんて言っとくけどないよ?何かお医者さんに相談するとか、誰かしらに助けを求めないと。誰も手取り足取り面倒なんて見てくれないよ。」

 

当たり前のことですよ。他の家族が冷たいからと言ってグタグタ(入って間もない上、職場の人に家庭のすったもんだを聞いてもらうなんて甘。)言ったところで何一つ良くなりませんでしょ。聞かされる側の負担、接客業なら解ると思うけど、お客様の知りもしない家族の自慢話や不平不満を笑顔でずっと聞いてなきゃいけない心労。ドッとくるじゃないですか?だからあなたがそうやってお店のスタッフに家庭のことをノンストップで話すこともそれと同じってことですよ。

 

ってことまで伝え。

 

 

ふと、

 

 

(あれ、わたしって何?)

 

 

と我に返り、「なんかわたしおばさんみたいじゃない?アハハ〜」

 

 

って切り上げようとするのですが、「いえ!もうすっごい為になります!」などど言われると

 

 

(マジ勘弁してェェ〜〜 好きにすればァア〜〜)

 

 

って逃げたくなってしまう。。

 

 

接客していてもすべて鵜呑みにする人が苦手なんです。。

 

自分の経験と知識で造られたスタンスやポリシーがある人は、割と自分のやり方なり考え方なりを伝えても取捨選択して網にかけてくれるのでディスカッションやコミュニケーションが意味のあるものになるのですが、自分の軸が無い人、薄い人、自分の弱さなりと向き合ったことがない人はどうも宙を掴むような時間になる。その時「へえ!そうなんだ!」と驚いたとしても、次の日には何に驚いたのかさえ忘れ、無防備(確固たる価値観を養うには経験が必要)に近い状態でまた日々の情報にさらされ、主枝じゃなく、側枝ばかりが育ってしまったトマトみたいに実が出来なかったらイヤでしょうが!(書いてててよく解らなくなってきた)

 

 

 

 

 

他にも離婚の相談事とか、メンタルの相談事とか、仕事に飽きちゃった系の話とかとかとか。

 

 

一体何でしょう。

 

 

先日は満月と夏至が続き、宇宙エネルギーが新しい流れに向かってシフトしたようですね。

 

 

 

ふわ〜っと、ここ最近の自分の感情や、今まで楽しめていたものが楽しめなくなっていること、新たに学んでいることにとても興味を覚え、惹かれていること、これからの時代の流れ、向かっていくべき方向、自然とのこれからの関わり方・・

 

色んなことをふわっと丸めて、空に放つような感覚でいたら、ああ、やはりわたしはいかに自分を最大限に生かした生き方をしていけるか、ここに一番興味と関心があるんだなと再認識。自分が自分の生きたいような生き方をすることを第一優先とすること、自分と世間一般の価値観の間で迷子になっている人に、もしよければ何かしらのきっかけなり、気付きなりを得てもらえたら・・・後は知りません♪というスタンスと。

 

何より今後最も掘り下げていきたいことは、自然と共に生きること。それから全てをホリスティックに捉えていくこと。

 

 

病の出所は一つなのに、その症状は体の至るところに出る。

 

腰が痛めば形成外科、頭痛が治まらないので脳外科、皮膚が荒れて痒くてしょうがないから皮膚科に、とこういった治療方針を念頭にすると、葉っぱばかりに薬剤をかけて根っこは放置するのと同じ。実がなるどころか、株全体が枯れてしまいます・・(どうしても繋げたいわけじゃないですよ)

 

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自分の言葉に自分が納得できるか否か、しっくりくるかって部分で勉強不足をひたひたと感じる為、そういった分野を学びたいと思い現時点は出来る範囲で勉強中。

 

自分の言葉や伝える内容が、何かしらの世の中を良くするものになるんだったらやりがいもありますし、これをしたらどうなるんだろう〜的な子供の好奇心レベルと同じでもあります。

 

 

トライ&エラー。何かビジネス染みててあまり好きな言葉じゃないですが、

 

人生は挑戦と失敗と学びと達成で、あとは好奇心があればなかなか充実した人生になるんでしょうね。

 

 

 

 

今日もつらつらと書いてしまいました。読んでくださってありがとうございます。

 

 

 

 

ナスの収穫が楽しみだあ。。

 

 

 

 

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6/24 加筆

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下今読んでる本からのメモ書き。

 

 

古代の賢者たちは、わたし達が前世で学んだこと全てをもって混成に生まれ変わるのだと説いています。しかしかなり悟ったものでなければ、生まれ変わっても全てを忘れています。人生の目的やこの世で必要とする経験は、わたし達のカルマにエネルギーの形で組み込まれているのです。

 

そのためわたし達はあらゆるタイプの人々や、職業、状況といったものに引き寄せられるのです。さらに賢者たちは、私たちが生まれる前にすでにこの世の全てを選んでいると言います。つまり、私たちの両親、身体のタイプ、そして経験などです。こうしたことに私たちはほとんど気付かずにいますが、究極の人生目的が『気付いて奉仕すること』だという理解に達すると、それを行うのにふさわしいものを創造していく方向に引き寄せられるのです。

 

こうなるとある程度自分というものが解り始めてきます。この点に行きつくまでは、私たちは過去の経験に振り回されたエゴの心の命令に、自動的に反応させられてしまうのです。

 

この世では何かが起こると、その意味について私たちは判断します。すべての出来事は過去の似た出来事の照らし合わせ、そのに知恵を加え、次なる新しい状況に適応します。私たちのエゴの心は、たえず判断を下し、評価をする機会のようなものです。

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:人生論

今を生きる



初収穫!

みるみる育ち、第1子を収穫しました。

ピーマン、ずっと買ってきたけど家でも出来るなんて、、当たり前の価値観をシフトしてくの、たのしい。


毎日ご飯つくりや洗濯掃除、仕事やらあらゆる場所場面でそれに応じた自分で居ることに、退屈になることがある。

タイマーで動いてるような、キッチリ枠にはまっていくような。

そういう枠は自分で壊してくしかないのだ。


決まったことを決まったようにやることで得る達成感より、決まっていないことを自分で作り上げていく喜びの方が断然ワクワクする。


今を生きる、という言葉。確か中学生の頃教科書に載っていた。

あの時はよく意味が分からなかったけど、すごく大切なことなんじゃないかと忘れないでいた。


わたしは2011年頃まで殆ど頭を使わないで生きていた。今が楽しいことが一番。未来のことなど誰にも解らぬ。いつ死ぬかも解らない。今をいつかの為に棒にふりたくない。

楽観。大まかに見てなんとかなるさ〜ハハハ〜のスタンスだった。

その頃、フランス語の勉強を始めたことが怠けた頭を覚醒させるきっかけに。

スカイプの先の先生は私が普段頭を使ってないことをいち早く見抜き、レッスンの最初はフランス語で時間の計算をさせられまして。

頭から煙が出ました。笑

ただでさえフランス語の数字は面倒なのに、何分後は何時?それはいつ?それって何分前? ヒィ〜

オタオタしつつ、褒められたいが為に予習もしてちゃんと言えるようになりました。


で段々フランス語が面白くなってきて。勉強が楽しい〜。

その頃、わたしの左脳がようやく重い腰を上げたんです。それまでは直感的に、あまり頭を使わないようにしてました。

頭で考える、とゆうのは今を離れること。今じゃない、ここじゃないものにフォーカスすること。それも自分という、限られた世界の中であちこち移動すること。

今を生きること。それは体で感じること。

今、確かにここに存在すると感じられる豊かな感覚、じゃないでしょうか。


フランス語を始めてからは常に何かしらの勉強をしておりますが、左脳が優位になるほど右脳が影をひそめていきます。

これは個人的な経験としてそうなんだと思ってます。


don't think you can feel.


考えるな 感じよ


今の自分へ。頭を使うクセをそろそろ治そうよ。









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